yukke色々

プログラムとかお絵描きとかするエンジニア

日記 20211003

この記事は、noteから移行したものです

 

最近は、自分が存在したことの証明を自分の死後に残しておきたいという思いが強まってきている

もう20年も生きてきている 20年ってもう何が起きてもおかしくないくらい長い時間だし、いつ死ぬかわからないからなるべく早く何かやりたい

デジタルなものよりもアナログなものを残しておきたい。

自分の足跡をこの世に残したいと思い始めたきっかけは私の小学生時代にある。

子供のころ、自分の家の中は未知のものばかりで、親が寝ている間や出かけている間によく探検していた。古いアルバムやヴィジュアル系(LUNA SEAが殆ど)のバンドのグッズや難しい書類とかコンドームとか 子供の私はそのすべてに興味を惹かれた。

小学校低学年のころに、姉と共用で使っていた部屋の、クローゼットの中を探検したことがある。私が幼いころの写真とか、ひと昔前の小説(井上ほのか)やビデオテープがあった。

その中に、薄汚れた大学ノートを見つけた。表紙には母の旧姓と知らない名が書いてあったと思う。1ページ目を見て、それが誰の書いたものなのかすぐに分かった。母方の祖父(母の父親)の日記だった その祖父は母が中学生の頃には病気で亡くなっていたと聞いている。

詳しい内容は正直覚えていないけれど 一文だけおぼえていて、「人の血が自分の体の中に入るのは気持ち悪い」とあった。病気の治療の記録なのだろうけれど、当時の私にはその文がとても生々しくて鳥肌の立つものだったから、その1ページだけを流して読んだ後、すぐに元の場所へ戻した。

「なんて恐ろしい文を平気で書くのだ」と思い、その日はずっとその日記のことばかり考えていた。その後 あまりにも恐ろしいので祖父の日記を読むことはしていない。

ただ、今の私は自分の思いや生活を記録に残すことの面白さを知っているので、とてもその日記を読みたいと思っている。一度も会ったことのない祖父の内面や思いを、文章を通じて知ることができるって多分オモロいし。

そもそも、そのような記録を残すということは、誰かに読まれることを承知していたに違いない。むしろ読んでほしくて書いたのではないのか? 私なら自分が病気になった時の日記なんか絶対に読んでほしいと思うね。

めちゃくちゃ読まなきゃいけない気がする 

日記 20210912

この記事は、noteから移行したものです

 

・・・写真は数年前に父親と行った誰も来ない海

先月 初めて自分のお金でパソコンを買った

去年の7月から一人で暮らし始めて、いろいろなものを少しずつ買い足しているが、これで何でもできる環境になった。不自由なことがない。今はパソコンでnoteを書いている。

手にしているものが増えると、苦しくなる性質があるため 今まで多くのモノを求めていなかったけれど、最近はそれに耐えることができている。でも便秘は苦しい どうしても

先ほど絵を描いていると、急に物事の前後がわからなくなった時間があった。自分が先ほど煙草を吸ったのは何時かな?ドーナツのかけらはあと何口あるかな?絵に終わりはあるかな? とか終わりのない問いみたいなものが一気に頭に浮かんできて、恐ろしかった

その時は 友人との電話をつなげて、同時に音楽を聴いて、同時に絵を描いていた 思考が頭の外にまで広がって追いつかなくなりそうだった

昔から似たようなことがあった 自分の思考が1秒前と分離して、同時に二つ存在しているような感覚になることがあった。「直前の思考」ばかりが頭に残って、自分がとらわれていることしかわからなくなってしまう

今日の症状は少し異なり 普段であれば「直前の思考」はすぐに消えてまた「新しい思考」が生まれるが 今日は「直前の思考」が消えなかった 時間が経過する毎に思考が増えていった 心に危険を感じたため、友人との電話を切り、音楽を止めて、筆を置いたら少しずつ収束した

怖かった~

話は変わるが 俺は自分に時間がないなんて思いたくなくて その思いが強い日は仕事とか家事とか趣味の絵をバリバリやらなくてはならないモードになる。仕事で疲れたとか 俺は基本的に定時で帰るポリシーがあるから言いたくない 時間がないとか言いたくない 言い訳したくないし

誰にも弱みを見せたくないのが根底にある 俺が黙しているのはそのせいもあったりするのか?これって言い訳か

最近はずっと誰か抱きしめて~泣 になってる セックスとかしたことないけど、性のぬくもりとか全然必要と思わない 手とか温めて頭とか撫でといてくれ 歌とか歌っといて

夏の間、全然川に行かなかった 暑くて。 最後に川へ行った日、いつもの場所に高校生のカップルが乗り込んできて嫌だったのが尾を引いているらしい なんなん ライトとか当ててきたし 態度の乱暴

一人暮らしを始めてからできた習慣で、金曜日に唐揚げを作り、その後川へ散歩に行く習慣 秋に差し掛かった今は唐揚げしか作ってない。金曜日に唐揚げを作る習慣があるって 美容室の人とか整骨院の人とかにしゃべるとウケるからウケる そんなに唐揚げって珍しいものでもないでしょう

冬になったら毛布を買おうかな この部屋は壁が薄いから夏は暑いし冬は寒いし、隣のおじさんの屁が余裕で聴こえる。 雰囲気は気に入っているし、友達が「映画みたいなトコでいいなーっ」と言ってくれたのでかなり良いが、飛んだり跳ねたりできなくて悲しい 

よく隣のおじさんが屁をこいて そのたびにイライラするが、多分 「一人じゃないよ」っていうメッセージだろうから 壁ドンとかしないよ俺は

腰が痛い寝

これは多分 全人類への偏愛

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鬼が嘘をつかないのと同じように俺も嘘をつかない事にしている
嘘をつくと同時に 自分がとても浅ましいふざけた人間のように思えてしまうから

嘘がつけない俺は 不誠実に浅ましい言葉を吐く事をしない
だから友達が苦しんでいる様子を目の当たりにしても適切な言葉で慰めたり勇気づけたりすることが難しい
俺が本当に本当に本能で絞り出した言葉こそが本心であるから 滅多に口を聞かない俺が発する言葉や文章はいつでも本当の心

絞り絞り出した絞りカスのような言葉で人に接しても それは他人が何気なく発した言葉と同じ種類のものだと他人に受け取られるのを知ってる

自分以外が全部そう見えているわけではなくて 俺の心のことを知っている友人は俺の絞りカスを受け取ってくれているだろうか と思う

人からの影響というのは誰も知るように残酷なものだと再確認する
コミュニケーションを上手に扱える者は 正と負の影響どちらも自分のものにしてしまうことができるのか
それがずっと分からないことに気づいた

俺は俺の理解できる範疇のものについて能弁になる
理解できないものについて表現をしようとするとそれは嘘になると思っているからそうしている

俺は全てを理解したい
スプレー缶で描いた落書きとか 一見めちゃくちゃなファッションとか 店員に悪態をつく老人とかに 一切批判をしたくないのは俺がそれらの全てを理解できていないから

大好きな友達とか大好きなゲームとか大好きな人間のことを好きだというのに気後するのはまだ理解できる余地があると思っているから
手放しでの評価をするのは 表面すらも見ることができていないのと同様に 本心での評価をするには奥の奥底まで理解する必要があるといつも思う

20210430〜20210502

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日記を文字起こしした

 

私たちの夢が叶った。

数ヶ月前まで、顔も知らなかった私を受け入れてくれたことが本当に嬉しい。

ようやく、3人が顔をそろえて笑い合うことができて、嘘みたいだけど本当だ。

夢だけど、夢じゃなかった。

今年で閉園してしまう遊園地へ行った。
太陽が眩しくて、鯉のぼりが泳いでいるのを見て、「夢なんかなあ」って笑っていた。

放課後みたいに集まってポテトチップスの香りを嗅いだし、夜の川に行って3人で歌ったり、シロツメクサでブーケとか花冠を作ったりした。

写真を死ぬほど撮ったし、現像したいな。

私が生活に欠かせない、金曜日に食べる唐揚げと、夜中の川への散歩を3人でできた時、この先唐揚げを食べたり、川へ行ったりした時には、きっと思い出すのだろうと感じていた。

二人からは、たくさん学ばせてもらっている。
私は知らないことが多すぎるから、私とは全く違う二人の性格や人生や生活に強く惹かれる。

少年少女のままの私たちが、希望を持ちながら生きていくための3日間は、本当だったらしい。手紙でも書きたい気分です。

2人に限らず、私は友人からあらゆる要素を受け取っている。█████からは賢さと饒舌さを、██からは慈愛と剽軽さを貰った。
2人からしてもらって良かったことを、他の人にもしてあげたい。そうなったら、少なくとも私の周りの人は幸せになれると思っている。

「幸せや、美味しい!」とご飯を食べられて良かった。█████を買っていて良かった。絵を描いていて良かった。私が素直に生きていて良かったです。

将来の夢のはなし

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小学生の頃 大人がわからなかった
俺がどんなに楽しそうな口ぶりで話してもそれをものともせず受け流しているのを見て俺は軽いショックを受けていた。
大人になることを恐れる理由がたくさんあった。教壇に立つ大人はいつも小さな人間を脅していたし

いつだったか思い出せないけど今より幾分か若い頃 将来の夢を書く欄にこう書いたことがある。

普通の人間になる

その頃の俺はスレていたし 自分の哲学を考え始めていたからそう書いた
具体性の無い夢を書くと 夢の理由はいくらでも後付けが出来てカッコいいなと思っていたからでもあった

当時 自分の行く末が本当に怖かった
だって大人を恐れているのに大人になれるわけがなくて 自分を食わせてあげる事なんてできるのかわからなかったし
理由の後付けと言った手前 カッコつけていると思われるかもしれないが これは本心

母の弟は 中学生の時 高校生の時 30代の時にチャリンコで何度か飛んだことがある
俺はその人のことが人間的に好きで 大人の嫌らしいところが感じられない人だった
数回しか会ったことがないけど 少しだけ一緒に暮らしたことがあるし ただいまとおかえりも言ったの覚えてる
金に困って何度か万引きをしたその人は 伸び切った坊主頭のままで また飛びました 多分

母は弟のことを大事に思っていたけど「中学生のまま何も変わってない」って言ってた

その弟の心の内を聞かせてもらったことは一度もなかった
でも 未来にある責任?の様なものに出会わないように チャリンコで無理矢理方向を変えてしまう気持ちはとてもわかる気がします
チャリンコって良いよね エコだし

俺は無理矢理チャリンコに乗ることはないけど 不安になった時ややり直したい時には夜中の川に行くようにしています
実家を出て引っ越してからは 川が近くなった
俺は考え出すと止まらない性格なので 溢れすぎる考えや思いとかを 海とか川に流したくなる

必要な考えだけお家に持って帰って また頭の中で整理を始める 楽しい時も悲しい時も怒っている時も全部余分なものを流しに行きます

今 友達が元気でいることが一番大切なことです
人々の感情は俺の中から出てくるものではないから川には流せない 良かったです
家に帰っても残っているものだから愛しいです

人が愛しいと思うようになったのは高校生の時で めちゃくちゃ気分が良かった時に初めて 俺に関わってくる全てが愛おしくみえたので全てを受け入れて心の中で愛しました そうなると誰も俺に嫌な顔をしなくなる事を覚えたし

もしかして 普通の人間になることってそこまで重要じゃないのか まだ理解できてない
今 普通の人間になることを求めているけど とっくに周りは普通の人間だと認めてくれていると思う
チャリンコよりも愛の方が大事だし
愛の方がチャリンコよりもエコな気がする

俺がどんなに痛い目にあっても 愛を大事にできるようになりたい それが今のところ夢であって今までのどんな夢よりも難しい
難しいことはしたくないけど愛はもっと単純であって欲しい 猫を愛でるくらい単純であって欲しい

考えが空っぽになって気分が良いので以上です

そんで唐揚げ食べたすぎ